オモコレーー具現の館ーー

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『タンタン ソビエトへ』

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1929年に「プチ20世紀」に掲載された、タンタンの記念すべき第1作目。ルポライターのタンタンが、GPUチェキストによる恐怖政治大蔓延中のソビエトへ取材に出かけ、冒険を繰り広げる。

 

「タンタンの冒険」シリーズの記念すべき第1作目にして、シリーズ中唯一、カラー化されなかった本作『ソビエトへ』。カラー化されなかったのも、長い間絶版扱いだったのも、後述する作者エルジェの意向によるもの。シリーズものの宿命か、後年の固定化されたキャラクターとしての「タンタン」とは、当然ながら色々と異なっている点が多く、『謎のユニコーン号』や『ななつの水晶球』などを先に読んでから本作を読むと、ギャップに戸惑うことがあるかも。ただ一方、カラー版として描き直されなかった唯一の作品として、他とは違う本作だけの魅力があるのは確か。

 

まずこの『ソビエトへ』、とにかくテンポがはやいはやい。ソビエトの実状を探ろうとするタンタンと、それを阻み彼を亡き者にしようと罠を仕掛けるソビエト側との攻防の連べ打ち。1つ1つのアクションやショックが、完全に決着しないうちから次の展開につながっていくので、ホントにアトラクションにでも乗っているような感覚。たった138ページが、138ページに思えないボリュームで、何回でも読み直せる楽しさを秘めている。次はこれ、次はこれと、休ませる間も無く迫ってくるGPUやコミッサールの刺客に対して、勇気と機転と悪運で切り抜けるタンタンとスノーウィ。くしゃみで壁を壊したり、独房になぜか潜水服が置いてあったり、吹っ飛ばされた先で上手いこと車に着地したりと、悪運もかなり荒唐無稽な一方、ガラクタから自動トロッコを創り出したり、飛行機のプロペラを2回も作ったりと、タンタン自身の創意や工夫が見られるシーンもあって、その辺のバランスはちょうどいい感じ。そこに加えてGPUと取っ組み合いする場面とかもある。本作のタンタンは、以降のシュッとしたスタイルからは考えられない、変に肉感があって、アクションシーンとなると筋肉質にも見える。作画自体が安定してないからか、タンタンの顔もページごとに結構違っていて、ここが面白いところ。

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タンタン自体のキャラクターも結構ちがっていて、本作では思慮深いというより無謀(笑)。かなりお調子者で、喧嘩っ早い。いつもは、スノーウィがトラブルメーカーで、それをタンタンが諌める構造なのに、本作では無謀ばっかりするタンタンを、スノーウィが諌めている形になっている。本作のタンタンは、その場その場をけっこう力ずくで切り抜ける武闘派って感じ。対してスノーウィが超お利口さんになってて、常々タンタンのすることにツッコミを入れる。どっちが保護者だと。しかも今回はスノーウィがタンタンを助かる展開がかなり多い。反面、スノーウィのピンチの時にタンタンが体を張って助ける場面もあり、シリーズを通して描かれた、ふたりの絆は一作目からバッチリ健在だった。

 

あと特筆すべきところは、作者エルジェの圧倒的表現力。言うまでもないことかも知れないけど、エルジェはほんとうに表現が上手い。今回は白黒で線も太め。後年にあるような細い線での緻密な描きこみはない。背景はほとんど白。線も少なめ。にもかかわらず、全てのものが何を表現しているか、一目でわかる。

 

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動きの表現も素晴らしい。特に、この車のスピード感。全体を少し傾けて描くことで、疾走感を出すこの表現。世界を形作る線の一本一本に全く無駄がない。これが今から90年近く前のものだなんて……もう感動するしかない。

このページ以外にも、一コマ一コマがとにかくシンプルだけども巧妙。最小の動きで最大の効果を狙っていて、全部のコマが見逃せない。これがシリーズの一作目ですよ? ほんとに凄いと思う。

 

 

特筆すべき点は、まだまだある。けどこれくらいにして、そろそろ、『ソビエトへ』を語る上で欠かすことができない問題について考えてみたい。

 

 

『タンタン ソビエトへ』は50年もの間絶版扱いだった幻の作品。というのも、作者エルジェにとっては、満足のいく出来ではなかったらしい。エルジェはソビエトの様子を、ある一冊の本を資料として描いた。その『ヴェールをはがされたモスクワ』は、共産主義批判を煽るような内容が強く、そこに書かれていることの全てが真実に基づいているわけではなかったらしい。

 

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でも実際に読んでみると、『ソビエトへ』に書かれているものはまったくのデタラメではないということも確か。特に有名なこのシーン。タンタンを銃殺しようとするソビエト兵の、ゾッとするほどに揃った動き。発砲とともに、足が揃って上を向く。このあまりに機械的な冷たさ。個が抹消されて、大きな何かに組み込まれてしまったかのような統一のされ方。この部分以外にも、国の利益のために個人を蔑ろにする場面が、『ソビエトへ』では数多く描かれる。それは現在でもまったく風化しない恐ろしさ。大きな力のため、個人が平気で犠牲にされる怖さを、『ソビエトへ』は確かに描いている。そして我らがタンタンは、そんな、「人を人とも思わない世界」に最後の最後まで「ノン!」を突きつける。

 

強い力に抗い、弱き者を助けるタンタンの姿は、この時から既に描かれていた。圧砕に苦しむ人々のために機転をきかせ、時には真っ向から立ち向かった。それこそ、タンタンというキャラクターが普遍的に持っている最大の魅力であり、世界中から愛されて止まない最大の理由なのだろう。そして、それは『ソビエトへ』の時点で、既に確固たるものとして確立されていた。

 

物語終盤、タンタンはソビエトに背を向け、故郷のブリュッセルに帰る。"ゆきてかえりしものがたり"の、"帰りし"の部分がちゃんと描かれているのもポイント高い。汽車が次第に故郷に近づくにつれ、ホッとすると同時に、ソビエトへの大冒険が終わりつつあるという感慨がこみ上げてくる。何度も死線を潜り抜けた、その偉大なる冒険から彼は帰ってきた。駅につめかけて、帰還を歓迎する人々。もっとも緻密に描きこまれた最後の一コマが示す大団円。けれどもタンタンとスノーウィの旅は終わらない。故郷に帰ったタンタンは、再びまたブリュッセルを後にして、様々な冒険へと旅立つことになる。

 

 

やや偏っていたとはいえ、全体主義が確かに持つ恐怖を描き出していた『ソビエトへ』。我らがタンタンの冒険録はこれを第一作目に掲げる。強気に立ち向かい、弱気を挫く。どんな困難に陥っても、希望を捨てずに挑戦し続ける永遠のヒーロー……すべては、ここから始まった。